2020年9月27日の中国の「澎湃新闻」より、「津雲調査 無形文化遺産に加えられる唐菓子とは、いったい?」という記事を日本語に翻訳してご紹介。
日本の和菓子を中国に持ち込み、今話題の「唐菓子」を作った夫婦についての記事です。
現在ネットを騒がせている人民網のツイートが生まれたきっかけとなる内容です。
津雲調査 無形文化遺産に加えられる唐菓子とは、いったい?
津雲新聞記者 王愛瀅 撮影 高飛
長沙路(天津にある通り)の喧騒の中にある、静かで小さなビルに金石唐果という小さな店がある。たまたま通りすがりの客が数人来た。客たちは店の中の菓子に目を惹きつけられる。ここで売られている土産は、唐菓子と呼ばれている。
唐菓子(タングオズ)? 多くの人は初めて聞いたとき、天津の人がよく朝ごはんに食べる、油で揚げた糖馃子(タングオズ)のことだと思ってしまう。もちろんそうではない。それは一千年以上の歴史を遡ることのできる、中国の伝統的なお菓子のことだ。唐菓子の伝統的な菓子作りは、無形文化遺産の代表だ。
このように多くの人がよく知らないお菓子はどこから来たのか、とある夫婦の旅行の話から見ていこう。
日本の旅行で、「和菓子」に出会う。
焦敬岩・李欣夫婦が和菓子との縁が結ばれたのは、5年前に日本に旅行したときのことだった。2人は京都のある菓子店に辿り着き、ショーケースの中にある“美しい”見事なお菓子に誘われ、店に入り試食をした。職人が菓子を製作する工程を見て、柔らかい菓子の甘い香りを嗅ぎ、二人は「和菓子」と呼ばれるこのお菓子と職人の熟練した技術に感銘を受けた。
和菓子は日本式菓子の略称で、形が美しく、造形の変化に富んでいることで有名だ。2人は帰国した後にこの和菓子の資料を調べたところ、和菓子の起源は中国にあり、唐の時代に日本の遣唐使によって日本に伝わり、唐時代の菓子をもとにだんだんと現在の形に変化したと知った。
当時、焦敬岩と李欣は第二子を産んだばかりだった。もともと安定した仕事を持っていた二人は、子どもたちにより良い生活をさせてやるために、すでに事業を始めようと思っていた。ちょうど事業内容を選んでいた彼らは、和菓子製造に興味を持った。
幼い頃から絵や手芸に興味を持っていた李欣は、独学で和菓子作りを始め、関連書籍をたくさん買った。見よう見まねで模倣しても、仕事にするには非常にレベルの低いものだった。勉強しているうちに、李欣は“ハマ”って日本に行って先生に習おうと決心した。
焦敬岩の支持の下、李欣は元のブライダル企画の仕事を辞め、はるばる日本に行き、和菓子職人に学んだ。染色、練りから各工具を使って形を作るまで、李欣は師匠の指導の下、腕が上達した。日本の和菓子職人が技術を教えるのには、厳しい師道伝授が存在し、技術を完全に身につけるのは、一朝一夕にはいかない。李欣は修行以外にも自分で練習し、時には1日に3〜4時間しか寝ないときもあった。覚えの良さと勤勉さのおかげで、1年余りで李欣は基本的な和菓子の製作技術を身につけた。
日本の師匠は原料の具体的な配合を教えてはくれない。それは彼らにとって核心的な門外不出の技術だからだ。焦敬岩と李欣は最初、日本から原料を買うしかなく、毎回スーツケースに数キロを詰めていた。事業を始める準備段階になると、2人は皮と餡の成分の原料を自分たちで配合することを考え始めた。そのため、彼らはわざわざ中国の菓子職人に教えを請うた。
そのような年寄りの中国菓子職人について言及するたび、李欣は興奮した。彼らは原料の選択、火加減の把握、製造方法において精緻な職人精神を持っている。これもまた李欣が技術を身につけると同時に学んだもう一つのことだ。
唐の時代の技法を復元し、“唐菓子”を作り出した。
夫婦2人は明確な分業をしていて、李欣が和菓子の製作技術を学んでいたとき、焦敬岩はずっと市場調査をしていた。彼は天津市の有名なスイーツ店を全て回り、よく売れているスイーツを食べた。スイーツチェーンに加盟することも一度は考えた。そうすれば技術的にもブランド知名度的にも優位性があり、研究開発とマーケティングの投資もはるかに小さく済む。(しかし)彼らはなぜこの唐菓子を作ると決心したのだろうか?
焦敬岩と李欣が出会った日本の和菓子職人は、授業のとき和菓子の起源は中国、唐時代のものだと説明していた。日本の資料には、遣唐使が伝えた8つの中国菓子の製法、「唐菓子」が記されている。彼らは親近感や誇りを持つと同時に、いくつかの技法を含む同類の菓子が中国国内には見られないことを残念に思った。文化的アイデンティティのため、夫婦2人は中国で和菓子店を開くという当初の目標から、和菓子の中に存在する中国古来の菓子作り技術を中国に回帰させるという目標を変え、唐代の菓子を作ると決めた。
しかし、中国の伝統的な唐代の菓子の技法を掘り起こし回復させるというのは容易ではない。まず突破しなければならないのは、やはり技術の関門だ。和菓子の技法は唐代の菓子の技法を踏まえているといっても、形上は日本文化の要素が色濃く現れている。李欣は和菓子を作る上で、造形と寓意は中国式、特に唐代の審美と文化を体現することに決めた。
李欣は多くの歴史、美術、工芸に関する書籍を調べ、博物館に行って展覧会を見た。唐時代の工芸品の写真を撮って記録し、唐時代の紋様造形の特徴を考証した。2人は中国各地から多くのお菓子の型を集め、そこからインスピレーションを得て、その中の代表的な図案を参考にした。
こうして1年余りの勉強、準備を経て、焦敬岩と李欣の2人は原料、技術、造形においては日本の和菓子をベースに中国唐代の菓子の製作方法を模索し、金石唐果のブランドを創立、「唐菓子」を製作した。
〜以下は和菓子とは関係のない内容だったので省略します〜
引用元: https://m.thepaper.cn/baijiahao_9378494
・最初は店がうまくいかなかったこと
・2017年の中秋節を機に売れるようになったこと
・コロナウイルスが始まってからは苦労していること
などが書かれています。
管理人のコメント
「和菓子の中に存在する中国古来の菓子作り技術を中国に回帰させる」というのはいかにもそれっぽいですが、わりとめちゃくちゃなことを言っていると個人的には感じました。
みなさんのご意見などをコメントにてお聞かせいただけると嬉しいです。
管理人にもいろいろと思うことはありますが、それはまた改めて書こうと思います。
【追記】
中国人が和菓子が唐起源だという理由に、「透花糍」という存在しない唐代の架空の色鮮やかなお菓子を挙げています。実はこれはただの餅だと判明しました。詳しくは以下の記事をご覧ください。
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